裁判、運動などの記録

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訴状
平成13年4月10日
東京地裁八王子支部民事部御中

    (原告の表示 略)
    (原告代理人の表示 略)
被告 財団法人生長の家神の国社会事業団
    
上記代表理事 松下昭
被告 M(簡略化)

損害賠償請求事件
 訴訟物の価格 7547万4711円
 ちょう用印紙額   31万9600円

第1 請求の趣旨
1 被告らは、原告に対し、金7547万4711円および内金6801万3374円に対する昭和62年7月8日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
訴訟費用は被告の負担とする。
仮執行宣言。

第2 請求の原因
 1 当事者
  原告は、昭和52年4月26日に生まれ、昭和55年に両親が離婚し父が親権者となったものの、諸般の事情から、昭和58年9月30日から、東京都国立市富士見台2―39―1所在の児童養護施設「生長の家神の国寮」(以下、「神の国寮」という)に入寮し、平成9年3月に卒業した。

 被告財団法人生長の家社会事業団(以下「被告法人という」は、神の国寮を経営する財団法人である。
 被告Mは、昭和60年ころから現在に至るまで、被告法人に雇用され、神の国寮の児童指導員として働いている職員である。

 2 被告Mの不法行為の内容
(1)  原告が入寮した昭和58年当初から、神の国寮においては、体罰が日常化し、中でも被告Mによる体罰は非常に厳しいものであった。
 被告Mは、寮生を、理由もなく、連日のように手拳や野球バットで殴打した。寮生が、被告Mや他の職員に殴打され、顔面を腫らしたり、身動きできないほどの障害を負うことが、日常の当たり前の出来事のようになっていた。暴行は主に被告Mによるものであったが、被告M以外の職員も、Mを止めようとせず、しばしば、一緒になって暴力を振るった。
(2)  このように、職員達の暴行は絶えることなく続いていたが、昭和62年7月8日の少し前に、神の国寮に保管されていた給食費か何かの金品が紛失したということがあった。
 このとき、被告Mは、原告が金品を奪った犯人であると決めつけた。そして被告Mは、同月8日の夜、寮内の一室に原告を呼びだし、数名の職員らとともに原告を難度も殴打した上で、「共犯者がいるだろう、名前を言え。」などと申し向け、犯行を認めて共犯者は誰か言うように強要した。
 原告は、金品を窃取したことなど身に覚えがなく、共犯者の名を挙げろと言われても、挙げようがなかった。しかし、原告は、被告Mが神の国寮に赴任してからこの時まで、再三、いわれのない暴力を受けていたため、自分の主張がいくら正当なものであっても、被告Mがその主張を聞いてくれる人間ではないことがわかっていた。また、他の職員らも、いつも被告Mの言いなりで、たびたび被告Mと一緒になって寮生達に暴行を振るっていたことから、このときも、職員らは誰も止めてくれないことがわかっていた。そのため、原告は、被告Mの言うとおりに共犯者の名前を挙げないと、被告Mや他の職員らからさらなる暴行を加えられるに違いないと考え、恐怖心から、共犯者と称して他の寮生数人の名前を挙げた。
 名前を挙げられた寮生らは、原告が被告Mらから暴行を振るわれていた部屋に呼び出された。呼び出された寮生らは、原告の前で被告Mや他の職員から殴られ、原告とともに金品を窃取した犯行を自白するよう強要された。しかし、寮生らも身に覚えがなかったため、自白しなかった。
 すると被告Mは、呼び出された他の寮生は金品を盗んでいないと納得し、今度は、呼び出された寮生らに向かい、「お前ら、こいつのせいで殴られたんだから、こいつを殴れ。」などと申し向け、濡れ衣を着せられた仕返しとして原告を殴るよう命令した。寮生らのうち何名かは、被告Mに命じられるがまま原告に対して暴行を加えた。
 さらに、原告は、共犯者として名を挙げた寮生らから暴行をふるわれた後も、被告Mと他の職員らに別の部屋に連れて行かれ、引き続き被告Mや他の職員らから激しく殴打され続けた。原告が被告Mらから解放されて自室に戻ったのは夜中の3時ごろで、結局、原告は5、6時間、殴られつづけていた。自室に戻っても、原告は体の痛みで眠ることができなかった。この時既に、左手は動かなかった。
(3)  翌日、左腕・左手の痛みが耐えられないものであったため、原告は、神の国寮の職員(おそらく被告M自身であったと思われる)に付き添われて神の国寮の近くの病院に行き、治療を受けた。診断は、左肘、左手首の骨折ということで、約1ヶ月間左腕をギプス固定した。
 ギプスを外しても原告の左手は動かず、しびれが残る状態であった。その後、原告は府中病院へ転院したところ、フォルクマン拘縮と診断され、1、2ヶ月間リハビリを続けたが、症状は改善しなかった。リハビリを続けても、原告の左前腕は、筋肉がほとんどついていない状態であった。
 症状が改善しないため、府中病院の医師が日本赤十字社医療センターへの紹介状を書いてくれ、原告は、昭和63年2月20日、同センターへ転院した。診断はやはり
フォルクマン拘縮であった。
 同センターでは、原告の左上腕の機能再建のためには、筋移植手術しかないということになり、原告は、昭和63年3月11日同センターに入院、同月14日に有茎広背筋移植術、正中・借骨神経剥離術、同年4月8日に創縫合術を受けた。有茎広背筋移植術は、原告自身の背中の広背筋を左腕に移植するというものであった。
(4)  手術後、徐々に筋肉がついてはきたものの、左手親指以外の4指は弧を描く形で固まったまま、それ以上伸ばすことも曲げることもできないままであった。また左前腕部は、感覚がないままであった。
 結局、平成8年6月、原告は同センター医師に身体障害者認定のための診断書を作成してもらい、身体障害者手帳の申請をした。医師の意見は障害者福祉法別表に掲げる障害等級3級に相当するというもので、後日、同3級の障害者手帳の交付を受けた。
 原告の左手は、昭和62年7月8日ころの上記被告Mによる一連の暴行により受傷してから現在に至るまで、ほとんど使えない状態で、特に、親指を除く4指は半円型に曲がった状態で、全く屈伸できない。親指も、わずかに動く程度である。平成8年の時点で、左手握力はわずか6kgである。
 このため、左手日常生活に著しい支障をきたしている。もちろん、右手のみで可能な作業をこなすことはできるが、例えば、食事のとき茶碗をしっかりと持つことができない、入浴の際、背中を洗うために左手指を使ってタオルの端を握ることができないなど、左手を要する行動ができないのである。そのため、就職もできない状態が続いている。右手だけで行える仕事を探し、就職したことはあったが、左手を使えないことを使用者に知られてしまい、たびたび解雇された。

3 原告に生じた損害

(1) 遺失利益
(ア)  原告の症状固定時は平成8年6月19日である。
 この時の、原告の左手・左前腕部の症状は、(1)親指以外の4指は、まったく屈伸することができず、親指がわずかに動く程度腕あり、(2)左前腕部は神経麻痺により感覚がない状態であった。
(1)は、自動車損害賠償保障法施行令別表における第8級4号に該当する。
(2)は、同表第12級12号に該当する。よって、原告の症状は、同施行令2条2号ニにより、同表7級相当の後遺症である。
(イ)  原告は、平成8年当時、19歳で、高校4年生であり、収入はなかった。従って、原告の遺失利益算定の基礎となる収入は、賃金センサス平成8年第1巻第1表の産業計、企業規模計、学歴計、男女別平均年齢平均の賃金額495万5300円を採用すべきである。
(ウ)  原告は、昭和52年4月24日生まれであり、症状固定当時19歳であったから、その就労可能年数は48年であって、それに対応するライプニッツ係数は18.0771である。
(エ)  したがって、原告の遺失利益は、下記の算式により5016万3374円である。
 495万5300円×0.56×18.0771=5016万3374円
                     (小数点以下切り捨て)
(2)障害慰謝料
(ア)  前述の通り、原告は、昭和62年7月8日、被告Mをはじめとする神の国寮の職員による暴行を受け、その翌日病院に行き、左肘・左手首骨折の診断を受けた。その後、1ヶ月間ギプス固定し、ギプスを外した後は、府中病院へリハビリに通い、昭和63年2月20日に日本赤十字社医療センターへ転院した。そして、同年3月11日から同年4月11日まで入院し、その間、有茎広背筋移植術、正中・借骨神経剥離術を受けた。さらに平成3年12月12日から、平成4年1月6日まで同センターに入院して、左手・左前腕部機能回復のため「屈曲群解離術」の手術を受けた。さらにその後も通院しなければならなかった。
(イ)  かかる入院・通院の期間は、入院58日、通院は8年間に及ぶ。
 この期間だけから考えても、原告に対する障害慰謝料は300万円を下らない。
(ウ)  さらに、被告Mら職員による暴行を受けて骨折し、神経が損傷したことにより、背中の筋を腕に移植するという重大な手術を受けざるを得なくなり、原告は、腕だけでなく、移植筋として広背筋を背中から切離するという重大な傷を負った。また、左手・左前腕部機能回復のための手術は、2度に及んだ。
 原告は、育ち盛りの大切な時期に、この様な著しい苦痛を強いられた。幼少期にかかるべき苦痛を強いられた原告に対する障害慰謝料は、通常よりも増額されるべきである。
 しかも、被告Mの暴行は、当時わずか10歳で、身寄りがなく、神の国寮およびその職員らに頼るしか生きる術のなかった原告が、職員らに囲まれて何ら抵抗できないのをいいことに、ただ自分の権力を振りかざして優越感に浸かりたいがために、あるいは自分の暴力的欲求を満足させたいがために行われた、故意による犯行である。
 被告Mやそれに扇動された他の職員らに囲まれて一人、長時間にわたり、被告Mや他の職員らの何時終わるともしれぬ暴行を受けつづけた原告の恐怖、苦痛は想像を絶するものである。
 以上の諸事情を考慮すれば、原告の彦倉に対する障害慰謝料は、450万円を下らない。
(3)後遺障害慰謝料
   前述のとおり、原告の後遺障害は、自動車損害賠償保障法施行令別表の第7級に相当する。
 したがって、第7級の後遺障害慰謝料としては、通常930万円が相当であるが、(2)で述べたとおり、原告は、被告Mらの、悪質極まりない暴行により、重大な後遺障害を負ったのである。原告は、今後、この身体に対する後遺障害のみならず、被告Mらから受けた暴行の恐怖・苦痛・屈辱感、被告Mらに対する憤りの気持ちとともに生きていかなければならない。かかる原告の後遺障害慰謝料は、1395万円を下らない。
(4)弁護士費用
  上記(1)ないし(3)の請求合計額6861万3374円の1割である686万1337円が相当である。
(5)
   以上から、原告が被告に対して有する損害賠償請求権の総額は、上記のとおり、(1)遺失利益5016万3374円、(2)障害慰謝料450万円、(3)後遺症慰謝料1395万円、(4)弁護士費用686万1337円の合計額7547万4711円である。

4 被告らの責任

(1)  被告Mは、原告に対して直接に暴行を加え、かつ神の国寮の寮生達が自分を恐れており、自分の言うことに従うという事実を利用して、他の寮生に指示・命令して原告に暴行を加えさせたものであって、民法709条により原告に生じた損害を賠償する責任がある。
(2)  また被告生長の家は、児童養護施設の業務のため被告Mを雇用し、業務の執行としてなされた被告Mの上記行為について、監督を怠ったばかりか、平素から容認していたものであって、民法715条により原告に生じた損害を賠償する責任がある。
(3)  そもそも、児童養護施設は、児童福祉法に則って設立された福祉施設であり、親によって養育されることのできない子供たちを、社会の責任として養育する場である。そこでは、親に見捨てられたという心の傷を回復し、自立した人間として社会に巣立つことができるよう、日々の養育において、最大限子どもの人格を尊重しなければならないことは、当然すぎるほど当然である。
 しかるに、被告Mと被告法人は、暴力による養育を日常的に当然のこととして子どもたちに受忍させ、子どもたちの自尊心を挫き、あまつさえ本件原告に対するように、理不尽な暴力を加えて重い障害を負わせ、障害者として社会に放り出し、以後5年間、何らの補償もせずに放置した。
 この間、原告は、後遺障害のために就職もままならない状態で過ごし、ようやく母親の元で生活できるようになったものの、今後の人生の設計も展望も見いだせないまま、焦りと苦悩の日々を送っている。
 被告両名の不法行為責任は、あまりにも重大であるといわざるを得ない。
 これに加えて被告法人は、原告が神の国寮に入寮している間、原告を保護し、安全に配慮し、健全に育成するべき法律上の義務があり、その違反は原告に対する責任不履行を構成するところ、被告法人は上記義務に違反して原告に前述のような後遺障害を負わせたのであるから、民法415条により原告に生じた損害を賠償する責任がある。


  よって、原告は被告らに対し、損害賠償請求として、連帯して7547万4711円および内6861万3374万円に対する昭和62年7月8日以降支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
以上

添付書類
1 法人登記簿謄本 1通
2 委任状       1通

*文字化けの可能性のある文字については、適宜読み替えました(管理人)

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